3.11(東日本大震災から6年たって想うこと)

東日本大震災から6年が経ちました。
震度6強という強い揺れに襲われたここ栃木県大田原市でさえ
あの日の爪痕を感じることはなくなりました。
(震災で倒壊した市役所の新庁舎は今年秋に完成だとか・・・)



震災後たびたび訪れてきた名取市閖上地区には30㎞に及ぶ長い長い防波堤が完成しました。
これで地域の人たちは津波の脅威から解放されて良かったなと感じていた私には
そこに暮らす人達の「防波堤のせいで海が見えなくなってしまった」という声に
はっとさせられました。
「海を見ながら暮らすこと」の意味を私は理解できていなかったのです。

何をめざして「復興」するのかの答えは、
私の考えていたものではなかったのです。



昨年訪れた女川からの帰り道、
見ず知らずの初めての道をナビに導かれるままに車を走らせていた私の視界に、突然仮設住宅群が現れました。
海から10㎞以上内陸の地名もわからない田園風景の中で、
道に沿って1㎞近く延々と続く仮設住宅の数にあらためて「震災の爪痕の深さ」を感じました。
海の見えない、西陽に照らされ熱されたアスファルトの地面に
今日もじっと暮らしている人たちがいるんだな・・・と時々思い出すこと
それが、昨年被災地を訪れて受け取ったバトンでした。
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(昨年、南三陸から女川に向かう途中偶然出会った石巻線の車両)
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女川の高台から

南三陸町を訪れてから一週間、
今になって地図を見てもどこをどう通ったのか思い出せませんが、
女川町にも立ち寄りました。

東日本大震災の際には17mの津波が高台の病院まで到達したということで
その女川町立病院から街を見下ろす。
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ここに街があったのを、私はYouTubeでしか知りませんが、
その街の面影は全くなく、忙しげに工事車両が往来していました。
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病院から見える女川港。この景色もニュースで何度も見ました。
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こちらは、港とは反対の山側。
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5年たってここまで整備された街。
沢山の人の御尽力に頭が下がる思いです。



帰り道、ここから万石浦伝いに車を走らせていたら
震災で移転してきていた「マリンパル女川おさかな市場」を発見。
自宅と実家それぞれにカキとホタテを送る。
ついでにホヤが食べてみたくて市場のオジサンと交渉。
「ホヤは好き嫌いがあるから・・・」と、グイグイとは薦められなったが、
話の種に食べてみたいので・・・と自宅に送ることにした。
途端にオジサン『おお!挑戦するかい?』と嬉しそう。
後日届いたホヤは、刺身と酢の物にして食べたが全然イケた!
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南三陸町防災対策庁舎跡に手を合わせる

ガソリンスタンドでガソリンも心も満タンにしてもらったあと、
再び 赤土の盛り土群の間を走り始めました。

すると、盛り土の陰に一瞬、サビ色の鉄骨の建物を発見。
かさ上げするために積まれた巨大な盛り土に囲まれるように建っていたのは
あの「南三陸防災対策庁舎跡」でした。
周りの工事が進んだため、
道路を挟んだこちら側から献花することになっていますが、
盛り土の巨大さと比較すると、
なんて脆い防災庁舎だったのだろうという気がします。
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たくさんの献花から「絶対にここを忘れてはいけないんだ」という想いが伝わってきました。


防災対策庁舎跡については、解体か震災遺構として保存するかでもめており
2031年までの20年間『県有化』することで結論が先伸ばしになりました。
20年後にはどんな結論がでるのでしょうか。

南三陸町で突然『今年の目標』への挑戦を迫られる

南三陸キラキラ丼を食べたお店で 近くにガソリンスタンドがないか尋ねると
意外にも「このすぐ先にありますよ~」という返事。

ずっと、盛り土された赤土の山だらけの道を走ってきたので
もしかしたら この辺にガソリンスタンドなんてないんじゃないかと不安だったのです。

言われた通り車を進めると予想に反して立派なガソリンスタンドが見えてきました。
しかし、ウインカーをあげて入ろうとした途端
目に飛び込んできたセルフの文字に、一瞬で私の顔が引きつる(;一_一)


御存知ない方のために(そんな方たちばかりだ!)補足いたしますと・・・
わたくし、セルフのガソリンスタンドが苦手なのです。
なので、今まで一度もやったことがないのです。
しかし、今年の私の目標は・・・セルフスタンドに挑戦なのです。

いや、そろそろ挑戦しようとは思ってたんですよ。
今年も半分過ぎちゃったことだし・・・。

でも、よりによってなぜこのタイミングなのか?

ドキドキしながら給油機の横に車を停め、さてどうすっぺ?とマニュアルを眺め始めたところ、
突然目の前に「女神」が現れた。
いや、よく見るとESSOのユニフォームを着たガソリンスタンドのお姉さまだったのだが、
途方に暮れていた私には、まさに「女神」に見えたのだ。

女神様の手ほどきで給油しながら、さっきからずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「このあたりにも津波が来たんですか?」
『ええ。ここの屋根くらいの津波が来たんですよ』
山肌がむき出しになった周りの山は、やはり津波の爪痕だったのだ。
海岸からはかなり内陸に入った印象だったが、それでも5~6mの津波がきたということだ。
ちなみに私がお世話になったガソリンスンドが⇒コチラ(ストリートビューで2011/7月の画像と比較できます)
もともとは、もっと海に近い場所にあったのですが、
津波で営業できなくなりここで再出発したのだそう。
「女神さま」は穏やかな笑みをたたえながら当時の話をされるのだが、何か独特のパワーを感じる。

そして「女神さま」はいち早く私の車の那須ナンバーに気づき
『栃木からいらっしゃったんですか?おひとりで?』と、ものすごく驚かれた。
確かに、この日私の周りは宮城と仙台ナンバーばかりで
他県から訪れる車も思った以上に少ない印象を感じました。

それにしても、
まさかこんなところでセルフデビューするとは思わなかった。
でも、セルフデビューが南三陸でよかったなぁという気がするのです。
だって、私のセルフデビューは、
あのガソリンスタンドの女神さまの「笑顔」と「パワー」とセットで達成できたんだもの。

南三陸町立戸倉中学校

4泊5日の旅から今日帰ってきました。
見慣れた地元の風景が妙に新鮮に見えるのは、
おそらくこの5日間の旅の効果でしょうか?

まさに夢のような5日間だった私の「東北ひとり旅」
これから少しずつその思い出をご紹介していきたいと思います。




今回の旅の一番の目的は宮城県の「南三陸町立戸倉中学校」へ行くことでした。
実は、私は以前 東日本大震災の津波の際にここで命を落とした猪又教諭のことをブログに書いています。
もしかしたら、2年半前にこの記事を書いた時からすでに
私の心はここへ行こうと決めていたのかもしれません

栃木を出て320㎞
メディアを通してしか見たことがない『南三陸町』の道路標識に、
ハンドルを握る私の手が震えていました。





そして、ここが私が目指してきた戸倉中学校。
5年前のあの日、猪又先生は確かにここに居たのです。
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地震のあった時間で止まったままの時計は、
そこだけ本当に時間がとまったようでした。
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校舎は地元の公民館として再建中で、校庭は仮設住宅になっていましたが、
猪又教諭はじめ多くの犠牲者の御遺体が見つかった体育館は当時のままでした。
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ベンチにひとりポツンと腰掛け、
彼も見慣れていたであろうこの静かな入江を眺める。
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私をここに導いた沢山の犠牲者の無念に手を合わせ、
猪又教諭が命がけで守ろうとしたその「信念」のバトンは確かに受け取りましたよ。
先生。。。